富山地方裁判所礪波支部 昭和55年(モ)4号 判決 1981年3月31日
債権者
平木昭美
債権者
本林勝男
右債権者両名訴訟代理人弁護士
北尾強也
岩淵正明
債務者
北陸金属工業株式会社
右代表者代表取締役
松原寛司
右債務者訴訟代理人弁護士
志鷹啓一
同
神田光信
主文
当裁判所が昭和五三年(ヨ)第一一号地位保全、賃金支払仮処分申請事件について、昭和五五年二月二九日なした仮処分決定を認可する。
訴訟費用は債務者の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 債権者両名
主文同旨。
二 債務者
主文第一項掲記の仮処分決定を取消す。
債権者らの本件仮処分命令の申請を却下する。
訴訟費用は債権者らの負担とする。
第二当事者の主張(略)
第三証拠(略)
理由
一 申請の理由第一項(一)、同(二)のうち債権者らが債務者会社の従業員であったこと、北陸金属工業労働組合(以下単に組合という。)の組合員であったこと、債権者平木が同組合の執行委員長であったこと、第二項のうち債務者会社が債権者両名に対し昭和五三年六月一三日解雇の意思表示をしたこと(以下単に本件解雇という。)は当事者間に争いがなく、債権者本林が右組合青年婦人部執行委員、同教宣部副部長の地位にあったことは(証拠略)により疏明される。
二 債権者らの本件申請の理由の骨子は、(一)本件解雇は不当労働行為であり無効である、(二)本件解雇は解雇協議約款に違反し無効である、(三)本件解雇が仮に整理解雇であるとしても、適法な整理解雇と認められる要件に欠け、解雇権の濫用であって無効である、というものであり、債務者はこれらを争うので、以下右の点につき順次判断することとする。
三 本件解雇の不当労働行為該当性の主張について
債権者らは、本件解雇は合理化に名を藉りて、債権者らが組合の要職にあったこと、並びに合理化に対する組合運動中終始その指導的地位にあったことを理由としてなされたものであると主張する。債権者らがいずれも前記認定の如き組合における地位を占めていたこと、並びに合理化に対する組合の反対闘争に積極的に関与してきたことは(証拠略)により疏明されるところであるが、本件全証拠によるも、本件解雇が債権者らの右のとおりの地位並びに組合活動を理由にしてなされたものと認められず、従って、債権者らの右主張は採用できない。
四 本件解雇の解雇協議約款違反の主張について
債務者会社と組合との間に締結された労働協約第三七条第三項において「会社が業務上必要により組合員を解雇しようとするときは、その基準を組合と協議する。」旨規定されていること、並びに本件解雇に際し、債務者会社と組合との間において、右規定による解雇基準の協議がなされていないことは当事者間に争いがない。債権者らは、右の点をとらえて本件解雇は右労働協約に違反する解雇であり、無効であると主張するのに対し、債務者は、組合が指名解雇を拒否し、解雇基準の協議を拒否する以上、債務者会社としては右の協議義務を免れるものと解すべきであり、協約違反はないと主張する。
債務者会社が組合に対し、昭和五三年五月二日、生産量月間一、二〇〇トン、人員一〇一名の体制(以下一、二〇〇トン、一〇一名体制という。)とし、余剰人員四三名について希望退職を募集し、削減することを主要な柱とする「北陸金属工業再建計画書」を提示したことは当事者間に争いがないが、右再建計画書提示後の労使間の交渉の経緯、希望退職募集、本件解雇に至る経緯については後記認定のとおりである。これによれば、本件解雇に際し、債務者会社と組合との間において、労働協約第三七条第三項に規定されている解雇基準の協議がなされなかったのは、組合が債務者会社の主張する指名解雇に強く反対し、それにつながる惧れがあるとして債務者会社が解雇基準を提示することに対しても強く反対し、右のような組合の態度をみて債務者会社の方では解雇基準に関する協議は不可能と判断して基準提示をしなかったためと判断される。
ところで、労働協約その他の取り決めに基づき、労使間において一定の事項につき協議すべきことが法的に義務づけられている場合に、労使の一方が右協議のための議題提出自体に強く反対し、他方が右事項を議題として提出し、協議をなそうとしても、実質的な協議をなすことが客観的に不可能であると判断される場合には、他方が右事項を議題として提出し、協議をなそうとしなかったとしても、右義務違背に問われることはないものと解すべきである。本件においては、前叙認定のとおり、労働協約第三七条第三項によって債務者会社は本件解雇をなすに際し、組合との間に解雇基準に関する協議をなすべき法的義務を負っているのであるが、本件解雇に至る過程において、債務者会社が指名解雇を主張したのに対し、組合はそれに強く反対し、更に指名解雇につながる惧れがあるとして解雇基準を提示することに対しても強く反対していたのであって、その反対の態様、程度等に照らすと、労使間において解雇基準に関する協議をなすことは客観的に不可能であったものと判断され、従って、債務者会社が組合に対して前記協約に基づき解雇基準を組合に対して提示し、協議をなそうとしなかったとしても、協約違背に問われることはないものと解せられる。債権者らの、解雇協議約款違反に関する前叙主張は採用できない。
五 整理解雇要件欠缺――解雇権濫用の主張について
成立に争いのない(証拠略)によれば次の事実が疏明される。
(再建計画提案に至る経緯)
(一) 債務者会社は黄銅棒の製造を主たる目的として昭和四六年七月二三日設立された会社であり、資本金は六億円、その株主は三菱商事株式会社(以下単に三菱商事という。)八八万四、〇〇〇株、同和鉱業株式会社三〇万株、三菱金属株式会社一万六、〇〇〇株である。債務者会社は肩書住所地(略)に本社工場を有しているが、右工場は、元来、昭和四五年頃訴外三越金属工業株式会社砺波工場として建設されたものであるところ、昭和四六年に右訴外会社の経営が行詰り、その再建過程において右工場を売却することとなり、右訴外会社の大口債権者であった三菱商事と同和鉱業株式会社が同年二月二五日右工場を買受け、更に右両会社から債務者会社が設立と同時に右工場の使用貸借並びに工場管理委託を受け、同年一二月一五日に譲渡を受けたものである。右のような設立の経緯から、債務者会社は生産部門のみを有し、原料仕入れ並びに販売については全面的に三菱商事に依存する体制をとっており、右の体制は現在まで変わらない。これを具体的にみると、まず原料については、三菱商事が一旦買入れ、それを債務者会社が更に買取ることとし、債務者会社が右原料仕入れの手数料として、三菱商事に対して、当初トン当り八、〇〇〇円を支払っていたが、昭和五四年七月からトン当り七、〇〇〇円を支払っている。又、製品販売については、債務者会社が三菱商事に販売し、同社が更にそれをユーザーに販売することとし、右の販売手続料として、三菱商事に対して、当初トン当り一万円を支払っていたが、昭和五四年七月からトン当り九、〇〇〇円を支払っている。更に債務者会社は後記のとおり、昭和四九年八月以降赤字を計上するようになり、これに伴って資金不足が生じ、昭和五一年には金融機関の協調融資により五億円の借入れを行ったが、その後も赤字による資金不足は止まず、銀行借入れも限度になったことから、三菱商事より昭和五二年に二億七、〇〇〇万円、同五三年に五億一、八〇〇万円(合計七億八、八〇〇万円)の赤字補填のための融資を受けるとともに、五億円にのぼる手形決済の繰延べを得、合計一二億二、八〇〇万円の資金援助を本件解雇の頃には受けていたものである。
右の通り、債務者会社は資本金、資金繰り、原料仕入れ、製品販売のいずれにおいても三菱商事にほぼ全面的に依存した体制をとっており、三菱商事の子会社たる実態を有しているものと認められる。
(二) ところで、債務者会社の製品である黄銅棒の主原料は銅と亜鉛であるが、銅及び亜鉛はいわゆる国際商品であって、その価格は世界的な取引相場の影響を受け易く、特に昭和四八年のオイルショック以後の世界経済の激変と、非鉄金属、とりわけ銅が国際的な投機の対象にされていること等の諸事情によって、その価格は非常に不安定である。又、製品の黄銅棒は電気製品、水道用品等の原材料に使用される中間製品であるが、右電気製品等も、経済状況の好不況によって価格及び消費量が大きく左右されるものであり、従って、販売量にも大きな変動がある。
以上の通り、債務者会社の主製品である黄銅棒の製造は、原料仕入れにおいても、製品販売においても経済変動の波を大きく受け、とりわけオイルショック以後は日本国内における製品総販売量は、黄銅棒製造業界全体の設備能力月産約二万五、〇〇〇トンに対し、約一万五、〇〇〇トンから一万七、〇〇〇トンの水準を低迷しているものである。
(三) 以上のような黄銅棒製造業界全体の低迷のなかにあって、債務者会社の生産量、受注量、販売高も同様の事態を続けており、その実情は、第二、当事者の主張中、(債務者の主張)、二(一)及び(二)掲記の表の通りである。これによれば、昭和五三年にはいってからの生産量、受注量、販売高のいずれもが大きく落ち込んでいることが明らかであり、一か月平均生産量は約一、二〇〇トン、受注量は約一、〇〇〇トン、販売高は約一、一〇〇トンとなっている。
(四) 右のような販売量の減少とともに、トン当りの収益(マージン)も又、オイルショック以後の経済不況による需要の減少に伴う過当競争によって著しく低下した。その結果、債務者会社は昭和四九年八月以来赤字を続け、昭和五三年三月末において累積欠損額は一四億九、九六六万一、〇〇〇円に達し、経常損失は八億〇、六九三万七、〇〇〇円にのぼった。その実情は第二、当事者の主張中、(債務者の主張)、二、(四)掲記の表の通りである。
(五) 右の事態に直面して、債務者会社は、業績挽回のために販売量の拡大に努め、更には昭和四九年一〇月から中空棒を、又同五〇年四月から細捧を新規生産開始する等の努力をして黒字転化を図ろうとしたが効を奏せず、前記のような赤字を続けたものである。右のような状況の中で、昭和五三年二月一五日、債務者会社の前代表取締役社長隈部鵬は経営責任をとって辞任し、同日債務者会社現代表者松原寛司(以下単に松原という。)が代表取締役専務(社長不在)に就任して経営指揮をとることになった。
なお、(証拠略)によれば、債務者会社の役員に対する報酬は第二期(昭和四六年一〇月一日~同四七年九月三〇日)四七三万二、八〇〇円、第三期(同四七年一〇月一日~同四八年九月三〇日)五九九万二、八〇〇円、第四期(同四八年一〇月一日~同四九年九月三〇日)六三五万八、八〇〇円、第五期(同四九年一〇月一日~同五〇年九月三〇日)六一二万六、〇〇〇円、第六期(同五〇年一〇月一日~同五一年九月三〇日)七三五万四、八三〇円、第七期(同五一年一〇月一日~同五二年三月三一日)一、八二四万円、第八期(同五二年四月一日~同五三年三月三一日)三、二二五万九、六六七円となっており、オイルショック後の経済不況によって赤字に転落し、生産量、受注量共最低を記録した第六期の役員報酬が前年より低額となっていることは容易に理解できるのであるが、赤字が累積していっている第七期に至って突然前期よりも約一、〇〇〇万円余、第八期においては第六期に比べ約二、四九〇万円もの増加をみていることは一見不可解のように思われるが、右増加分の大半は、西田証人に対する債務者代理人の尋問内容に照らすと、退任役員に対する退職慰労金であることが認められる。すなわち、債務者会社は、前叙認定のような欠損を出しながら、赤字による経営責任をとって退任していった役員に対し、右の如き退職慰労金を支払っているものである。
(六) ところで、松原は昭和四九年一〇月、三菱商事から債務者会社に出向し、取締役業務部長に就任し、同五〇年一月総務部長を兼任し、同五三年二月一五日代表取締役に就任したものであるが、右就任に際し、同人は、三菱商事から、債務者会社への支援には限度があり、早急に黒字化を図るよう厳しい要請を受けた。そこで、松原は、就任直後の同年二月一七日から三月二八日までの間、課長以上管理職、役員計九名で黒字化転換のための計画案につき討議を続け、その結果生産量一か月一、二〇〇トン、人員一〇一名とする再建計画の骨子をまとめた。右計画立案中においても債務者会社の経営内容は悪化を続け、同年三月末決済の手形約五億円のうち約二億九、〇〇〇万円につき資金不足が予測された。そのため、松原は右再建計画の骨子を同月二八日三菱商事に対して説明し、右計画を二か月以内に実施し、黒字化の目途をつける旨を言明して三菱商事から右決済資金の融資を受けたものである。
(七) 松原らが一、二〇〇トン、一〇一名体制の計画案を打ち出したのは次の理由による。すなわち、前叙認定のとおり、昭和五三年一月~同年三月までの平均受注量は一、〇七六トンであり、最も現実的かつ確実な生産体制は一、〇五〇トンであると考えられるが、一、〇五〇トンの生産体制の所要人員は八八名で足りるところ、それでは当時の債務者会社の人員一四四名をあまりにも多く削減することになること、従って販売努力による受注量の最大限の期待値を見込んで一、二〇〇トン体制をとることとし、その所要人員として一〇一名としたものである。
(八) 以上の経緯を経て、債務者会社は、昭和五三年五月二日、組合に対し、労使協議会において、「(1)生産量は月間一、二〇〇トンとし、人員は一〇一名とする。余剰人員四三名は希望退職を募集し、削減する。(2)(イ)現行の年間稼働時間二、〇〇二時間(二八六日)を二、〇七九時間(二九七日)に改める。(ロ)各自の基準内賃金を五%カットする。(ハ)時間外労働(早出、残業、休日出勤)割増率現行三五%を三〇%に改める。深夜労働割増率現行五〇%を四五%に改める。(3)出社及び退社時の社有車の運転をとりやめ、同乗による通勤とする。(4)組織の簡素化を二月に一部実施したが、更に機動性ある組織の確立を図る。(イ)製造部と生産技術部を解消し、製造部に一本化する。(ロ)部門間の情報伝達の迅速と人員の流動的有効活用を図るため、製造事務所を廃止し、表事務所に製造部スタッフを収容する。(5)黄銅棒の受注内容の変動に伴い、生産段階で機敏に対応することが必要であり、部門、職場間の応援、配転を行い、機動性ある生産体制を整える。(6)間接経費は大幅見直しを行い、その節減目標を一〇%とし、製造間接費は三%を節減目標とする。又、福利費は現行の中で極力ムダをなくすとともに、当分の間、リクリエイションの会社補助を中止する。(7)品質の向上により、クレームの発生をなくし、損失額の削減と販路の拡大を図る。歩留りの目標としては、鋳造歩留りを一%以上、加工歩留りは二%以上向上する。(8)原料購入については当面その一部を自力買付を行い、購入費用の削減を図り、漸次、自力購入体制を確立する。(9)製品の販売については役員を中心として全力をあげて次のことにあたる。(イ)直需家指向の方針を更に推進し、当社製品の安定した紐付需要を増やす。(ロ)販売分野に積極的に参入し、販売マージン並びに受注量の確保に努める。(10)新体制に於いて、計画を達成するためには、職場規律を各人が守り、全体として能率の向上を図る必要がある。従って就業規則の遵守を励行し、年次有給休暇の事前届出を守り、遅刻、早退を減らし、出勤率の向上を図る。(11)会社の経営危機を突破し、再建していくためには労使が一体となってあたることが不可欠である。そのため定期の労使協議会のほか、あらたに製造、販売、管理に於ける諸問題を話し合うため、必要に応じ労使による懇談会を開催する。」という内容の「北陸金属工業再建計画書」(以下単に再建計画又は再建案という。)を提案し、五月一八日から実施に移したいと言明した。
(再建計画提案後の労使交渉の経緯)
(一) 右提案に先立ち、労使は春闘に関する交渉を続けていた。春闘の交渉においては、昭和五三年三月一三日、組合から債務者会社に対して、賃上げ額組合員一人当り平均一万九、二〇〇円(定昇含む。)、配分本給スライド五〇%、一律五〇%、本給定昇を除く全額加給繰入れ、その他時間短縮等の付帯要求、雇用確保に関する協定をそれぞれ要求したところ、債務者会社は、同月二三日、一五億円にのぼる累積欠損と、九億円近くの経常赤字を抱えた会社の厳しい状況を訴え、企業が今日生きるためにはどうあるべきかという企業の存続の一点に立って全てを処していかねばならないことの理解を求め、会社が健康体に戻れる見通しが立つまではベースアップその他の労働条件の変更については現状のままとするという前提を述べて、「賃金増額定期昇給額一、七五七円、配分本給組合員一人当り平均月額一、三五二円、加給(各人本給昇給額の三〇%相当額)組合員一人当り平均月額四〇五円、付帯要求項目については現行どおりとする。雇用確保に関する協定要求には会社として応じられない。」旨の回答をなした。その後、労使間の団体交渉が続けられたが、会社回答の上積みを要求する組合とそれを拒絶する債務者会社との態度は平行線をたどり、交渉は難航していた。春闘の団体交渉が第六回に至った昭和五三年四月二二日、債務者会社は四月末から五月初めに人員削減を含む合理化案を提案したい旨を言明し、前叙のように、五月二日臨時労使協議会において再建計画を組合に対して提案したものである。
(二) 債務者会社の再建案の提案に対し、組合は春闘要求を低額のままに押え込もうとする逆提案であると反発し、又再建に関する労使協議会及び団体交渉において、再建案を白紙に戻したうえで再建の方策を協議したいと主張した。
(三) 債務者会社は、再建案の根拠につき説明し、組合の白紙撤回を求める態度の変更を要望した。そして、組合に対して再建案を了承してもらいたいこと、了承してもらうために連日でも団体交渉を行うこと、仮に組合が反対しても五月一八日には希望退職の募集にはいることを強調し続けた。組合は白紙撤回を求めるという基本的立場に立ちながらも団体交渉に応じ、会社側の挙げる根拠について種々反駁を加え、五月九日の交渉においては経理内容を明らかにする書類の提出を、更に五月一〇日の交渉においては新体制下における人員配置計画の提出を要求した。これに対し、債務者会社は当初これを拒絶したが、その後五月一一日に貸借対照表、損益計算書等の経理資料を提出し、五月一二日には再建案実施後の人員配置表を提出した。
(四) その後、当初債務者会社が設定した期限である五月一八日に至るまで、五月一五日、同一七日の二回団体交渉が開かれ、五月一七日に債務者会社の判断で右期限を五月二〇日まで延期することとされた。そして、五月一八日から二〇日までの間団体交渉が続けられ、再建案の具体的な内容に関する質疑応答がなされた。しかし、この間においても、組合側は一、二〇〇トン、一〇一名体制をとることには納得せず、会社に対して再建案の見直しを迫ったが会社側はそれを拒絶し、五月二〇日の団体交渉は決裂した。
(五) しかし、債務者会社は交渉決裂後直ちに再建案の実施には踏み切らず、更に労使間の折衝が続けられ、解決の糸口を見い出すために労使間において小委員会を持つこととなり、五月二三日、二四日の両日小委員会が開かれたが、労使間の基本的姿勢は変わらず、再び交渉は決裂した。
(六) その後、組合から団体交渉の申入れがなされ、五月二六日に団体交渉が再開された。右交渉においても一、二〇〇トン、一〇一名体制を認めるか否かについて応酬が繰り返され、会社側は「明日重大な決意を表明する。」旨言明するに至った。右団体交渉において合意をみなかったが、交渉は三役交渉方式により続けるものとされ、同日以降五月二九日までの間七回にわたって三役交渉が行われた。
(七) 五月二六日の第一回三役交渉において、組合側は、指名解雇は反対する、一、二〇〇トン、一二〇名(従業員プラス下請)体制については委員長決断とするとし、その他退職金の増額、年次有給休暇の買い上げ等の要求を提出し、以後退職金額についての交渉に入り、四回の交渉を経て五月二七日大筋の合意をみた。そして五月二八日の第六回三役交渉において、組合は希望退職募集を明確に認めるとともに、指名解雇やそれにつながる退職基準を決めることは認められない、合意なく希望退職を募ることも認められない、と述べ、再建案については、一二〇名体制は了解するが、従業員と下請を何名か差し替えてほしい、年間労働時間延長は一年間として決めたい等の回答をした。これに対し会社側は、希望退職で予定人員となるよう会社はあらゆる努力をする、その上で未達であれば基準により指名解雇する、組合が基準提示に反対であるのなら基準は出さないこととする、と述べ、再建案の個々の点についての組合回答の検討を行った。更に五月二九日第七回三役交渉において、会社側は、従業員と下請の二名入替え、一〇三名体制を提示し、四一名の希望退職を募集することを提案し、希望退職で四一名が削減されるようあらゆる努力をすること、従って、一般的に考えられる退職勧奨を行い、未達人員がある場合には一〇三名とならなければ会社再建がないので指名解雇を行うこと、退職基準については組合の意向もあるので公にしないこと等を述べた。これに対して組合は、全従業員を対象としての募集で基準を出さないのであれば勧奨もある程度は認めるが、指名解雇は認められず、従って、協定にそれに関する条項を入れることは認められない、旨を主張した。そして、その他の点は全て合意に達したものの、指名解雇の点については労使対立して平行線をたどったので、最終段階において会社側から、指名解雇については互いの主張が平行線であるから、一〇三名体制がなければ会社の再建がないということを確認したいとの提案がなされ、組合も右確認をすることについて了承し、三役交渉を終えた。
(八) 右三役交渉の経過を踏まえて、五月二九日団体交渉に入り、会社側は「(1)新体制における人員 新体制における基準の生産量を月一、二〇〇トンとし、これに対する従業員は一〇三名とする。但し、下請を含め一二〇名とする。この新体制にならないと会社の再建がないので、現従業員の四一名削減のために会社はあらゆる努力を払い希望退職を募集する。(2)希望退職の条件 会社は原則として全従業員を対象に五月三〇日~六月五日までの七日間に希望退職を募集要綱に従い募集する。(3)再就職の斡旋 会社は退職者の再就職については最善の努力を払い、就職先の紹介並びに斡旋に努める。又会社は新たな雇用を必要とする場合は希望退職者を優先的に取扱う。<4>年間労働時間 新体制の日から一年間は二、〇九七時間とする。(5)基準内賃金の五%カットについて継続審議とし、引続き誠意をもって協議し、早急に解決するよう努める。(6)深夜労働割増率を再建の目途がつくまで現行の五〇%を四五%に改める。(7)通勤用車両は運転をとりやめる。(8)リクリエーションの会社補助の中止は継続審議とする。(9)組織の簡素化その他の諸施策については、会社は今後これを実施していきたい。あわせて、新体制の配置は適材適所で再配置する。希望退職の募集は五月三〇日からとする。」との提案をし、更に、会社は四一名の希望退職がでるようあらゆる努力を払う、そのために退職勧奨を行い、未達となった場合にはその人員数について指名解雇を行う、と述べた。これに対して組合は、指名解雇には反対し、協定することはできないこと、会社はあらゆる努力を払って希望退職の募集をするとあるうちのあらゆるとの文言を除いてほしいこと、希望退職募集を五月三一日からとすることを申入れ、その後協定書の作成作業に入り、五月三〇日労使双方は次の内容の協定書に調印した。「北陸金属工業株式会社と北陸金属工業労働組合は会社の再建計画にもとづく新体制について、次のとおり協定する。
1 新体制に於ける人員
新体制に於ける基準生産量は一、二〇〇トン/月として、現従業員を四一名削減し、一〇三名とする。この新体制とならなければ、会社の再建がないことを確認する。
2 希望退職者の募集
会社は原則として、全従業員を対象として四一名の希望退職者を募集する。退職条件、その他については下記のとおりとする(但し、条件その他の条項は省略)。
3 年間労働時間の延長
現行の年間労働時間を新体制実施の日から一年間は二、〇七九時間とする。
4 基準内賃金の五%カットについて
継続審議とし、引続き誠意をもって交渉協議し、早急に解決するよう努める。
5 深夜労働割増率を再建の目途がつくまで現行五〇%を四五%に改める。
6 通勤用車両の運転とりやめ
新体制の実施の日より通勤用車両の運転をとりやめ、同乗による通勤とする。
7 リクリエーションの会社補助の中止については継続審議とし、誠意をもって協議する。
8 組織の簡素化ほかの諸施策については、会社はこれを今後実施し、組合は誠意をもって協力する。
9 新体制後の人員の配置に当っては、適材適所に再配置する。」
更に右と同日、労使は、「退職者各自の年次有給休暇の残日数については、その日数に各自の日給額を乗じた額で買い上げるものとする。」旨の確認書を取り交わし、又同日春闘についても、組合員一人当り平均月額一、七五七円の定期昇給実施、付帯要求のうち、時間短縮については会社再建に関する協定のとおりとし、その他の付帯要求については現行どおりとすることを骨子とする協定を締結したものである。
以上の協定により、債務者会社は昭和五三年五月三一日から希望退職の募集に入った。
(本件解雇に至る経緯)
(一) 希望退職の募集は前叙のとおり、昭和五三年五月三一日から六月五日までの間行われ、その間会社側は退職勧奨を行い、組合側からその方法につき抗議を受けることもあったが、結局募集の結果、三六名が退職に応じたので、未達の人員は五名となった。
(二) そこで、六月六日に労使間の団体交渉が開かれ、会社側から、未達の人員についてはできるだけ円満な形で解決したい趣旨から、期間を延期して第二次募集を行うこと、その期間は六月七日から同月一二日までとすること、右期間中になお未達の人員がある場合にはその人員数につき指名解雇を行うことを提案し、募集の方法は前回通り従業員全員を対象とする希望退職募集の方法によることとして第二次募集をすることに組合は同意したが、指名解雇に対しては絶対反対を主張し、期限までに未達の人員がなおある場合には再度の協議をすることを求めたところ、会社側は会社の決めることであるとし、更に組合が指名解雇を認めないのであれば、未達の場合には一方的に会社で決めた基準で指名解雇を行うこと、それは協定により出来ると判断していることを言明した。又、第二次募集を行うのであれば、組合との間に当然協定書を取り交わすべきだとの組合の主張に対し、会社側はその必要がないと拒否し、連絡事項として扱えば足りるものと述べた。
(三) 以上のような経緯を経て第二次募集が行われ、会社側の退職勧奨により、三名が退職に応じ、未達の人員は二名となった。組合は、第二次募集期限の六月一二日、第二次募集が未達のままで終わることを予測し、会社側に対して「六月一三日午前九時より、合理化問題について団体交渉を申し入れます。」との団体交渉申入書を提出した。しかし、会社側は右申入れに対してなんの応答もせず、翌六月一三日午前九時頃、松原が債権者両名に対し、本件解雇を通告し、そのあと同日午後一時四五分から団体交渉に応じたものである。
(本件解雇後の事情)
(一) 本件解雇の直後である六月一三日午後一時四五分から、労使は団体交渉を行い、更に同月一四日、一五日と交渉が続けられ、組合は本件解雇の撤回を求めたが債務者会社はこれを拒否し、一五日に物別れに終わった。
(二) 本件解雇後、債権者平木は妻と三人の子供、両親を抱え、さしたる貯えもない中で苦しい生活を余儀なくされており、又本林も、妻と二人の子供、実母、妻の父という家族構成の中で、稼働している妻を除く四人の扶養をし、余裕のない生活をしているものであり、本件解雇の効力を争って六月一六日に本件仮処分申請を行ったものである。
(三) 他方、債務者会社は、前叙のとおり六月一三日に本件解雇を行うことによって一、二〇〇トン、一〇三名体制を確立し、同年一〇月頃には黒字化を図れるものと判断していたところ、同年八月頃からの大幅な円高のため黄銅棒の販売価格が下落してマージンが低迷を続け、同五四年二月頃までそのような状況が続いた。そのため、債務者会社は依然として一か月二、〇〇〇万円程度の赤字を続けたので、右事態を打開すべく、トン当り一万円のコストダウン、昭和五四年三月三一日黒字化を目標とする合理化案(以下、債務者会社内で称しているとおり、生き残り合理化作戦という。)を立案し、同年九月一日から同五四年三月末日までの間、これを実施することとした。
(四) 右生き残り合理化作戦において、対策として考案されたものは次のとおりである。
1 管理関係
(1)会費の削減(伸銅協会をはじめ全面見直し)、節減目標額(以下のカッコ内の数字は右目標額である。全て一か月単位である。)二〇万円(2)不用資産の売却(ゴルフ会員権など)(四万円、但し全部で五七七万円)(3)購入価格の低減(LPG、灯油など)(三〇万円)(4)借入設備の見直し(ショベル、LPG施設)(二〇万円)(5)事務工数の機動的使用(製品関係の業務の正常化)(6)事務用品費の削減(支給などの管理を検討)(五万円)(7)交際接待費の削減(販売を主体とする)
2 鋳造関係
(1)ダライ粉撒焼(バラ)投入((イ)撒焼方式(ロ)プレス二基休止(ハ)舟型容器運搬)(一三〇万円)(2)三号HFの休止((イ)三号MFからの直接連鋳(ロ)三号HFの休止(九三万円)(3)合金切替えによる配合差益(七〇万円)(4)溶解歩留りの向上(除滓剤の研究)(五〇万円)(5)鋳塊歩留りの向上(一系統、三連鋳×八本取りに変更)(二五万円)(6)鋳塊歩留りの向上(ピンホール、縦割れ等の不良対策)(一三万円)(7)余剰工数の有効活用(下請男子二名の他部門への応援)
3 押出関係
(1)押出歩留りの向上((イ)外削BLによる極太棒の歩留り(ロ)二穴→一穴による太棒の歩留り(ハ)スリ疵対策による中径棒の歩留り(ニ)一穴範囲拡大による細棒の歩留り(ホ)中空棒の歩留り(ヘ)コンテナー冷却による歩留り(全体で二%アップ)(2)コイル処理の省力化(3)中空棒後端切断自動化
4 加工関係
(1)蒸気ボイラー灯油使用量節減(一〇万円)(2)LPG有効使用による使用量節減(三〇万円)(3)三六〇KW、五〇〇KW電気炉の有効運転による使用量節減(三五万円)(4)加工歩留りの向上((イ)太棒丸の歩留り(ロ)太棒六角の歩留り(ハ)中径棒の歩留り(ニ)中径・六角棒の歩留り(ホ)細棒の歩留り)(全体で〇・九七%)
(五) 右の各対策は実施に移され、管理関係においては一か月一六三万八、〇〇〇円の経費節減を達成し、又鋳造、押出、加工の各関係においても、二、三設備投資額が過大になることから中止された点があるけれども、大半は節減に成功するか、継続的に実施が試みられ、全体的にみれば、相当の経費節減と歩留り向上の成果をみたものである。
(六) 以上の合理化の努力と、更に昭和五四年一月からの海外銅市況の上昇、円高から円安への転換等による黄銅棒市況の好転等が相まって、同年三月から月次決算の黒字化が達成されるに至った。右の間の昭和五四年一月から、三菱商事が融資金利を従来の八・九%を三・七五%まで引き下げるようになり、又同年七月から三菱商事の原材料仕入、製品販売の各取扱手数料もトン当り一、〇〇〇円ずつ軽減されるようになった。
(七) 月次決算の黒字化はその後も続いたが、昭和五五年四月以降黄銅棒需要は低迷し始め、又電力料改訂によるコストアップ、人件費、運賃その他の上昇等の悪条件が重なり、現在においては再び赤字に転落している。右のような業界を取り巻く厳しい環境の中で、昭和五六年一月、棒メーカーを含む団体である日本伸銅協会は労働省に対し、黄銅棒業界を雇用調整給付金の対象業種に指定するよう申請した。これによって業界は減産強化、マージン回復を図り、更には不況カルテル結成をも考えているようである。
以上のとおりであり、右認定に反する各当事者提出の疎明は採用できず、他に右認定を左右する証拠はない。
(判断)
(一) 以上認定の事実を前提として、解雇権濫用の主張について判断することとする。
企業経営上の必要のため、余剰人員の削減を目的としてなされる解雇(以下整理解雇という。)は、解雇される労働者側になんらの責に帰すべき事由がないにも拘わらず行われるものであり、かつ、解雇は賃金のみを生活の糧としている労働者及びそれによって扶養されている家族の精神的、経済的、文化的な諸側面を含む人間たるにふさわしい生活をなすべき基盤を根底から破壊し、しかも、整理解雇は、通常、当該業種のみならず他業種をも含んだ経済界の一般的不況の中で、解雇後の再就職が必ずしも容易でない状況の下で行われることが多いため、労働者にとって極めて過酷な事態を招来する惧れがあるものといわねばならない。
自由競争原理を柱とする資本主義経済社会においては、企業は自由競争の下で利潤を追求しなければならず、従って、より多くの利潤を求めるために、できる限りの合理的な方策を講ずることは企業にとって当然に許容されていることはいうまでもなく、それゆえ企業経営上必要がある場合には、余剰人員を削減するため労働者を解雇することも又許容されるものといわねばならない。しかしながら、他方、資本主義経済社会においては、労働者は企業等に雇用され、賃金を得ることによりはじめてその生存を確保されるものであると同時に、その労働を通じて人間としての生き甲斐を見い出していくという側面を有するものであり、とりわけわが国においては、終身雇用を前提として労働者は生涯にわたる生活設計を立てているものである。このことを反面からみれば、わが国の企業は雇用労働者の生存を確保し、人間としての生き甲斐をつくり出し、更には生涯にわたる生活設計の基盤を提供しているという機能を果しているものといえる。
以上のような、労働契約の背景並びに機能を考え合わせると、企業が整理解雇をなすにあたっては、労働契約を支配する信義則から、次の要件を具備することを要するものと解せられる。
すなわち、第一に当該人員を削減しなければ企業経営が成り立っていかないこと、第二に解雇に至るまでに、解雇以外の、企業において通常なされ得る利潤追求のための合理的な措置がとられていること、第三に人員削減をなすにあたり、労働組合又は労働者の代表に対して、事前にその必要性を具体的に開示し、人員削減の必要性、その時期、規模、手段等に関して協議をなし、右労働組合等の納得を得るために十分な努力をしていること、第四に被解雇者の選定が企業の恣意ではなく、合理的基準によっていること、換言すれば、他の労働者に比較して被解雇者が解雇されるべき合理的理由が存在すること、以上の各要件を具備することを要し、右要件の一つでも欠缺すれば当該整理解雇は信義則に反し、解雇権の濫用として無効とされなければならない。
(二) 叙上の見地から本件解雇をみるに、本件解雇は前記第二及び第三の各要件を具備していないものと判断される。以下、その理由について述べることとする。
1(1) 既に認定したとおり、債務者会社が月次決算において赤字を出し始めたのは昭和四九年八月からであったが、その後本件解雇に至るまでに赤字が続き、昭和五三年三月の時点においては累積赤字が約一五億円近くに達した。この間、債務者会社が赤字解消、黒字転換のためにとった対策(以下単に合理化対策という。)は、(イ)黄銅中空棒、細棒という新規製品の開発、生産、(ロ)販売拡大の二点であり、それ以外に格別の努力がなされた形跡は見当らない。
(2) ところで、新規製品の開発、生産のための努力は、利潤追求を目的とする企業にとってはあまりにも当然のことであり、経営状態の良し悪しを問わず、なされるべきものである。又債務者会社がとった販売拡大の措置は、合理化対策というにはあまりにも不可解なものであるという外ない。すなわち、オイルショックによる経済不況、需要減少の下でマージンが急激に低下し、販売すればする程損失が出るという状況の下で、合理化対策として販売拡大に力を注ぐことはまさに火に油を注ぐ類の行動と評すべきものであり、事実、この販売拡大において重ねた無理が赤字を増大させていった大きな要因となっているものと認められる。
(3) ところで、昭和五三年二月一五日松原が債務者会社の代表取締役専務に就任したが、就任に際し、松原は大株主であり、資金繰り、原料仕入れ、製品販売等において全面的に依存している三菱商事から、黒字体質への転換を約束させられた。それをうけて、松原は就任直後から同年三月二七日まで、役員、課長以上の殆ど全員の管理職とともに連日のように会議を持ち、黒字体質への転換のための検討を行ってその骨子を作成し、同月二八日には三菱商事から緊急融資を受けるに際し、右骨子に従い二か月以内に黒字体質への転換を図ることを言明した。そして、同年五月二日に前叙認定の内容を有する再建計画を組合に対して提案したものである。
(4) 松原が代表取締役に就任したのちにおいて、合理化対策としてとった措置は、右の再建計画を立案するため連日のように会議を開いたこと以外に何もない。毎月発生し続けている赤字を少しでも解消するための具体的な方策を全くとることなく、ひたすら人員削減を柱とする再建案の作成に没頭していたのである。
(5) 債務者会社は人員削減によって黒字体質が完成したものと判断し、その他の合理化対策を具体的にとることがなかったところ、昭和五三年八月頃円高不況等により黒字化が覚束なくなったため、同年九月から急遽前叙認定の如き内容を持つ「生き残り合理化作戦」を策定し、コストダウンを図ることによって黒字化転換を目論んだ。右の経過から窺えることは、債務者会社は、人員削減のみによってまず黒字体質を完成しようとしていたことであり、その他の合理化対策は、再建計画の中で抽象的に盛り込まれていたものがあったとはいえ、具体的に、人員削減と並行してあわせ遂行されてはいなかったということである。
(6) 右のように、昭和五三年九月から債務者会社は「生き残り合理化作戦」を遂行したのであるが、同作戦において検討され、実行に移された前叙認定の各事項は、どの一つを取り上げてみても赤字に直面した企業であれば当然にまず検討するのであろうものばかりであるといわざるを得ない。松原の代表者本人尋問の結果によれば、本件人員削減以前においては、債務者会社の中に右のような合理化作戦を遂行できる雰囲気はなかったと述べているが、仮にそのような雰囲気がなかったのであれば、経営者としては、真に合理化作戦が必要だと判断したなら、その作戦遂行の必要性を強調し、遂行し得る雰囲気の醸成に努めるべきであるのに、再建計画案作成の前に、債務者会社が右のような努力をなしたことは全くないのであり、従って、右松原の供述は自らの無策を棚に上げた無責任な言明というべきである。
(7) 以上のとおり、債務者会社は、赤字に転落した昭和四九年八月以来再建計画案の提示に至った同五三年五月までの間、赤字の解消又は減少のための企業努力を殆どなすことがなかったものと断ぜざるを得ない。右の如き債務者会社の無策が赤字累積の大きな要因になっていることは疑う余地がないところである。
而して、債務者会社は赤字解消のために、まず人員削減のみを実行した。赤字に直面した企業が当然なし得、又なすべきである人員削減以外の諸方策を殆どとることなく人員削減を実行し、かつ、人員削減のみによって黒字化を図ることを目論んでいたものである。
(8) 更に、前叙認定のとおり、債務者会社は、赤字を出し続けていた昭和五一年一〇月~同五二年三月三一日の間に、退職した役員に対し、退職慰労金として約一、〇〇〇万円、同五二年四月一日~同五三年三月三一日の間に、同じく退職慰労金として約二、四九〇万円程度をそれぞれ支払っている。退職慰労金は役員在職中の功労に報いるための性格のみならず、在職中の報酬の後払い的性格を有するものであり、従って、後者の性格から考えれば、赤字を出している会社であるからといって、退職役員に対する退職慰労金を支払う必要がないとまでいうことはできない。しかしながら、債務者会社が右期間に支払った退職慰労金の金額は、会社の規模と経営の実情、役員の在職期間(仮に会社設立と同時に役員に就任したとしても、その期間は七年間程度である。)等に照らして、報酬の後払い的性格を越えて在職中の功労に報いるための性格をも勘案して算出されたものとみざるを得ない。
而して、既に述べたように、退職慰労金が支給された時期においては赤字が続いていたのみならず、昭和五二年四月一日~同五三年三月三一日の間に支払われた退職慰労金は、赤字を続けた経営上の責任をとって退陣した前社長隈部鵬に対するものを含んでいるのであって、債務者会社の右各退職慰労金の支払いの態度は、再建のために少しでも不必要な出費を減らすべき努力を要求されている赤字の企業にしては、経営責任を十分に果さなかった退職役員に対してあまりにも寛大なものと評さざるを得ない。右のような出費が赤字を一層拡大させ、ひいては人員削減、本件解雇の一因をなしていることを想えば、労働者の犠牲において経営責任を十分に果さなかった退職役員に利益を与える措置であったといわれてもやむを得ないものである。
(9) 整理解雇は労働者の生存を危うくするという大きな犠牲によって企業を生き延びさせるという側面を有する。従って、企業が労働者に右の如き過酷な犠牲を強いる整理解雇をなすことが許容されるためには、解雇を回避するために通常の企業としては当然なし得、又なすべき諸方策を立案、実行するという企業努力が真摯になされることが要求されて然るべきである。自らの権利を主張し、他に犠牲を強いるには、自らの手を汚していてはならないという意味でも、又既に述べた労働契約の持つ背景並びに機能からしても、右の要求は信義則上肯認されるところであろう。
而して、本件においては、債務者会社は解雇を回避するために通常の企業としては当然なし得、又なすべき諸方策を殆ど講ずることなく、債権者らを含む四一名の人員削減のみで黒字化を図ろうとしたものである。そこにみられるのは、真摯な企業努力を尽さずに、労働者の一方的な犠牲のみにより黒字化を図ろうという債務者会社の姿勢である。更に、前叙のとおり、労働者の犠牲を強いる反面において、赤字を出した経営責任をとって退陣した役員に対し、在職中の功労に報いる性格を帯有しているとみざるを得ない退職慰労金を、再建計画立案当時支給している。
右に述べたところからみる限り、債務者会社の態度は解雇等失職によって労働者にもたらされる大きな犠牲をかえりみず、誠に安易に人員削減を立案、実行しているものと判断せざるを得ない。かかる債務者会社の本件解雇は、他に犠牲を強いるに自らの手を汚していてはならないという観点からも、又労働契約の持つ前叙の如き背景並びに機能に照らしても、信義に合致し、誠実にその権利を行使したものとは到底いうことを得ない。してみれば、本件解雇は、整理解雇が有効と認められるための「解雇に至るまでに、解雇以外の、企業において通常なされ得る利潤追求のための合理的な措置がとられていること」という要件を欠く解雇であるといわざるを得ない。
2(1) 前叙認定のとおり、債務者会社と組合は、昭和五三年五月三〇日、会社再建に関する協定を締結した。その第一項においては「新体制における基準生産量は一、二〇〇トン/月として、現従業員を四一名削減し、一〇三名とする。この体制とならなければ、会社の再建がないことを確認する。」とされ、第二項においては「会社は原則として、全従業員を対象として四一名の希望退職者を募集する。以下略。」とされたのであるが、右各文言自体と、前叙認定の右協定に至る労使の交渉の経緯に照らせば、「再建がないことを確認する。」旨の文言は一、二〇〇トン、一〇三名体制を再建の柱とし、労使双方が右体制になるよう互いに努力することを確認し合った綱領的意義を有するものにすぎず、右体制の実現は希望退職の募集によって行うものとされたことが明らかである。債務者は、「再建がないことを確認する。」旨の文言から、希望退職の募集によっても削減すべき人員が未達であった場合には、指名解雇ができるものと解釈すべきである旨主張するが、右協定においては指名解雇ができるとはどこにも書かれていないのみならず、協定締結に至る過程においては、債務者会社が協定中に右の旨をそう入すべきことを強く主張したのに対して組合はそれに極力反対し、結局前記のとおりの成文となったのであって、右の点に鑑みると、債務者の右主張は協定の解釈としては独断という外なく、到底採るを得ない。債務者会社が、労使の交渉の席上において、希望退職の募集によっても削減人員が未達の場合には指名解雇をする旨言明していたことは前叙認定のとおりであるが、それはあくまでも債務者会社の主観的意見の表明にすぎず、右のような言明があったからといって労使間において指名解雇に関する合意ができたとか、協定の解釈に関して合意ができたものといえないことはいうまでもない。
従って、右協定によって、組合は一、二〇〇トン、一〇三名体制となることに債務者会社に対して協力すべきこと、債務者会社は右体制をとるについては希望退職の募集によること、をそれぞれ義務づけられたものと解されるが、希望退職の募集によってもなお削減人員に達しなかった場合に、更に削減の方法としてどのような方法をとるのかに関する労使間の合意は成立していなかったものといわざるを得ない。
もちろん、企業としては組合の同意がなければ絶対に解雇をなし得ないとまでいうことができないのはいうまでもない。しかし、組合が人員削減に関する企業の提案に対して一方的に反対し、協議を拒否しているような事態であるならば格別、そうではなくて組合が人員削減の提案に対して協議に応じ、そして協議の結果人員削減に同意し、その時期、規模、方法について合意に達したのであれば、労使双方が当該人員削減に関しては互いに右の合意内容に拘束されるものであるというべきである。本件においては既に認定したとおり、五月三〇日の労使間の協定において、四一名削減と、削減は希望退職募集の方法によることが合意されているのであるから、労使双方は右の合意内容に拘束されるものといわねばならない。
(2) 既に認定したとおり、本件においては、五月三一日~六月五日までの希望退職募集期間中に三六名の応募者があり、五名が未達となった。そこで、六月六日に団体交渉のうえ更に第二次の希望退職募集を行うことを合意し、六月七日から一二日までの間第二次の希望退職の募集が行われた。
(3) そして、第二次募集によっても、なお削減予定人員に二名不足したのであるが、第二次募集期間の最終日である六月一二日、組合は削減予定人員未達が予測された時点で債務者会社に対し、六月一三日午前九時から「合理化問題」について団体交渉を持つことを申し入れた。右の申入れは「合理化問題」についての団体交渉の申入れであるが、当時の状況に照らせば、削減予定人員未達の二名についてどのように取扱うかに関する団体交渉の申入れであることは明らかである。然るに債務者会社は右の申入れを無視し、再建に関する協定の趣旨によれば指名解雇ができるものと解し(これが独断的な解釈であることは既に述べたところである。)、かつ再建計画実施のタイムリミットを理由にして、六月一三日午前九時頃、松原が債権者二名を呼び、口頭で、就業規則第二四条の六「会社経営上、止むを得ない場合」にあたるとして、解雇を通告したものである。
(4) 債務者会社の右解雇は、五月三〇日合意した労使間協定の内容を一方的に無視したものといわざるを得ない。組合は右協定に従い、二次にわたる希望退職、退職勧奨を容認しているのであるから、債務者会社も又、右協定の内容に従うべきであった。仮に、債務者が主張するタイムリミットがあったとしても、それは例えば手形の支払期日の如き厳密な意味でのタイムリミットではなく、債務者会社の融資先であるとともに大株主でもある三菱商事に対して債務者会社代表者松原が融資を受けるに際して言明した「二か月以内に黒字化の目途をつける。」という程度の、とりようによっては相当幅のあるタイムリミットというべきものであったものと考えられる。実際にも、債務者会社が労使の交渉過程において当初に設定していた五月一八日希望退職募集開始というスケジュールが変更されているのであり、右の事実に照らしても、組合の六月一二日の団体交渉申入れを無視して本件解雇を強行しなければならない程動かし難いタイムリミットであったとまでは到底認めることはできない。債務者会社が、二名の未達人員について組合と協議を続けながら(前記協定によって組合は一、二〇〇トン、一〇三名体制をとることを受け容れているのであり、もし仮に組合が右協議の過程において右体制を否定するような挙に出るのであれば、信義則上解雇という手段をとることも許されるものといえよう。しかしながら、既に述べたように、組合は六月六日の団体交渉においても右体制を否定する挙に出ることなく第二次希望退職募集に応じているのであり、六月一二日の団体交渉申入れの時点においても一、二〇〇トン、一〇三名体制を否定するような態度をとっていたとは認められない。そうであるとすれば、債務者会社としても、前記認定に拘束され、人員削減はなお希望退職募集によるべきであったのである。もし、債務者会社のように、一、二〇〇トン、一〇三名体制をとることの合意ができたことから指名解雇をなし得るという趣旨を引き出すとするならば、希望退職募集条項は空文に等しくなるものといえよう。労使間の協定を自己の都合のよいように拡張解釈したり無視したりすることが信義に反し許されないことはいうまでもない。)一、二〇〇トン、一〇三名体制実現の努力を行うことが不可能であったことを認めるに足る証拠は全くないのである。
(5) 以上述べたとおり、債務者会社が労使間の協定内容を一方的に無視し、削減予定人員が二名未達であることが明らかになった時点で組合が人員削減の問題について団体交渉を申し入れているにも拘わらず、右申入れを無視して本件解雇に至ったことは組合無視の態度と評されてもやむを得ないものであり、右経緯に照らすと、債務者会社は本件解雇をなすにつき組合を納得させるに足る十分な努力をしたものと認めることはできないのである。
(6) 叙上のとおりであって、債務者会社の本件解雇に至る過程においては、債務者会社は労使間の信義に反する協定の解釈をなし、それを根拠にして、組合の十分な納得を得る努力をすることなく本件解雇に及んだものというべきであり、信義則に反する解雇権の行使であると判断せざるを得ない。
3 以上の次第であって、本件解雇は、その余の点を判断するまでもなく、右の各点において整理解雇の要件を欠き、信義則に反する解雇権の行使であるというべきであり、従って解雇権の濫用として無効といわざるを得ないものである。
六 そうすると、債権者らはいずれも債務者会社の従業員たる地位を有しているものというべきであり、又、債権者らの解雇前三か月間の賃金及び平均賃金が別紙(略)債権目録のとおりであることは当事者間に争いがないので、被保全権利の疏明があるものと判断される。
七 既に認定した債権者らの家族構成、家庭状況等に照らすと、債権者らにおいては、本案判決をまっていては回復し難い著しい損害を蒙る惧れのあることが認められるので保全の必要性が肯認される。
八 そうすると、債権者らの本件仮処分申請は理由があるから、保証を立てさせることなく認容するのが相当であるところ、当裁判所は昭和五五年二月二九日本件仮処分申請を認容する決定をなしているのでこれを認可することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 出口治男)